モデレーターの石塚勝美は、本分科会は国連の平和維持活動のみならず平和構築にかかわる幅広い諸課題への日本、中国、米国など主要国家の関わり合いを討議するものであると述べ、報告者の3人とコメンテーターおよびラポルターを紹介した。
モデレーター
石塚勝美 共栄大学教授
報告者
水野孝昭 神田外国語大学教授
熊谷奈緒子 国際大学准教授
広野美和 立命館大学准教授, ハーバード大学フルブライト研究員
コメンテーター
猪又忠徳 長崎大学グローバル連携機構アドヴァイザー、日本国際平和構築協会(以下GPAJ)理事
ラポルター
五味香代子 GPAJ会員
前職の記者時代からアジアとアメリカの関係を取材してきた。昨今のアメリカの国連軽視、中国との軍事、イデオロギー、経済・技術対立でZero-sumの冷戦思考に逆戻りしつつある。国連でも安保理のパワーバランスの変化を含め中国のプレゼンスが大きくなり「国連秩序」が転換期にあると観ている。世界の現状に国連の枠組みが対応できているとはいえない。特に、安全保障および政治分野では憲章上卓抜した優越性を有する安保理の改革は、肝要であるのでこれを推進していたG4などのミドルパワーやAU,ASEANなど地域機構がもっと関与していかなければならない。そうでないと超大国の覇権的な行動に歯止めがかからなくなる。
国際刑事裁判所(以下ICC)は集団殺害、戦争犯罪など重大な国際犯罪をおかした個人を直接訴追・処罰する機関であり、123ヵ国がローマ規程に批准し加盟している。しかし、大国米・中・露は批准しておらず、安保理によるシリアの人権侵害の事態の国際刑事裁判所への付託はロシアの拒否権のために実行されていない。一方、これまで行われた捜査の11件中10件はアフリカのケースで、これまで有罪判決が下された4名も全員アフリカである。この現状に偏向性が指摘されアフリカからは脱退の動きもある。普遍性の向上や偏向性の是正等が求められ、改革案として国連安保理改革、アフリカの職員の増加等がアフリカ連合などから提案されている。ただ、そもそもICCは本来各国の刑事司法制度を補完するという位置付けであり、各国の司法機能とその能力向上を通じても、最も重大な国際犯罪をおかした者を処罰し、不処罰の文化を絶ち、法の支配を高めることはできよう。
「責任ある大国」とはいかなるものかに焦点を当て、中国が平和構築・人道援助を行ったアチェ、南スーダンなど5つの国と地域において、支援を受ける側(インサイダー)が中国の国際責任をどのように認識しているか、現地での数多くのインタビューを元に報告を行った。インサイダーの受け止め方には、肯定、条件付きの肯定、否定と様々な要素が見られること、またその違いは、それぞれの国の「責任」の概念の違い、地政学的に関わってきた伝統的大国に対する反発などの要素によるものであるとの分析がなされた。
水野教授が安保理の憲章上の卓越性およびその改革の重要性を強調したことは、正鵠を得ている。しかしながら、安保理の機能は、実のところ、5大国の意見の不一致によって、麻痺している。見込みの薄い安保理改革に賭けるよりも、急がば回れで、SDGsの達成により、紛争に至る根本原因である、貧困、国家間および国家内での格差や不平等、人権侵害、差別、環境・生態系の破壊などの除去に、息の長い努力を傾注することが肝要であろう。中国もG77もこのようなボトムアップの平和構築には、賛同しており、また、米国もグテレス事務総長の提唱する、安全human securityを確保する国別SDGs戦略計画を支持している。
確かに、「国際刑事裁判所(以下ICC)ローマ規程に大国米・中・露が加入していないことは、その実効性を著しく制約するが、米国が加入しないことについては、中国および露の不参加と同列に論ずるべきではない。というのも、米国は多くの人権条約に加入していないが、国内の法の支配や国民の人権意識・基準は先進国中でも極めて高い(例えば、ガンタナモにおけるタリバン兵士の長期拘束への米市民の批判)ので、実質的に米国人へのimpunityが助長されるとは言えない。この点は、ルイーズ・アルブール(Louise Arbour、1947年2月10日 – )が旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷とルワンダ国際戦犯法廷の検察官であった時に、メデイアに公言していたところである。
調査の対象となった国民各層の中国の政策への反応は、政策の受け手である、各層によって異なるが、どうも、問題となる中国の施策・支援が実利的にどれだけ卑近な利益をもたらすかが決定要因になっているようである。このように時々の中国からのオファーの変遷がもたらす好悪の情の変化は、長期的には、受け入れ側の構造的な問題解決への影響の変化と区別してかかるべきであろう。中国の支援が、受け入れ国の問題の解決に真にどれほど貢献したかによって、基本的友好関係ははかられるべきものである。