NHKが2018年8月2日に報道したこの番組では、中田厚仁さんの命がけのメッセージは世界平和と民主主義国家構築のためには「誰かがやらなければいけないから、自分がやる」ということであった。この一人の青年の、尊く強い意志が鮮明に示された。中田さんの死は、そのほかに何をもたらしただろうか。『クローズアップ現代+』では語られなかったことを考察してみる。
国連暫定統治機構(UN Transitional Authority in Cambodia: UNTAC)が25年前の1993年5月に明石康特別代表の下で行った選挙で、カンボジアの人たちは、自由に国家の指導者を選ぶことが出来た。そしてこの選挙に貢献した国連ボランティア選挙監視員たちの活躍が称賛された。しかし彼らが歩んだ道のりは多難であって、日本人の国連ボランティアの一人、中田厚仁さんの命が失われた。
中田さんの死後、西欧諸国からの多くのボランティアの方々が危機感を募らせ、カンボジアから去って自国に戻り始めた。その数は選挙監視員全体の1割の50人以上になった。ジュネーブにあった国連ボランティア本部の、私の上司のマックスウィニー事務局長が、事件を深刻に受け止め、もう一人でも国連ボランティアが亡くなったら全員引き揚げると明石康特別代表に電話で伝えた。また国連ミッションUNTAC本部の事務所には、選挙を止めないとより多くの日本人が殺されるぞとの脅しのファックスも入ってきて危機感が募った。このような状態で一人でも多くの選挙監視ボランティアたちを引き留めるために、当時選挙監視団の運営責任者であった私は、国連のPKO部隊と警察隊による警護を強化してほしいと、UNTACに要請することにした。その当時では最大級のカンボジアナホテルの会議場で、一度に収容できる最大の数の200人ほど集まってもらい、2回にわたり、UNTAC幹部と合同会議を行った。明石康特別代表とともに、ジョン・サンダーソン(John Sanderson)軍事部門司令官、クラース・ルース(Klaas Roos)文民警察局長、レジナルド・オースティン(Reginald Austin)選挙部門局長など、UNTACの幹部のほぼ全員が参加してくれた。アンダーソン司令官はそれほど危機感を抱いていない様子であったが、明石特別代表が私たちの要請を真摯に受け止めてくれた。そして自由で公正な選挙が出来るようにするために、選挙の準備をしているUNボランティアの全員の安全対策を強化することを約束してくれた。このおかげで、それ以後には帰国者がいなくなったと言える。
(※中田厚仁さんの死亡された1993年4月8日から第2回目の合同会議が開かれた4月22日までの状況に関しては、明石康『カンボジアPKO日記』岩波書店2017年、248-260頁参照)
さて、中田厚仁さんが述べたもう一つの大切なメッセージがあった。それは、カンボジアや、紛争に明け暮れていたソマリア、ルワンダそして東ティモールなどの国々で勤務した経験から感じたことです。世界平和の夢を達成するには、「どんな国の人とも僕は、対等の意識に基づいて行動したい」という言葉です。平和で安定した社会を築く支援をするには、虚心坦懐に、先入観やわだかまりを持たずに、誰とも同じ目線で語り合うことが重要であると言うことです。相手の人たちを見下すことのないよう、ありのままの状態を素直に受け入れることのできる平静な心境を保ち、一緒に解決策を見出すことです。現地の人たちが自立心を抱き、指導者たちが自律心を持って、財力や権力欲を抑え、社会を公正に治めていくことが、平和で安定した社会には不可欠です。その為には現地の人たちを子供のように扱わずに対等な大人として接して、指導者には国民のために責任感を持つようにメンタリティーを変えてもらうことが必要です。
さて、今回の「クローズアップ現代」の番組では、時間が制約されていて、中田厚仁さんの死後に何が起こったかを、番組が報道される前に渡された質問に答える形で、中田厚仁さんが残した重要な遺産を見定めます。
- カンボジアで亡くなった中田厚仁さんがもたらしたものは何ですか。
答えは、官民を問わずに日本人の心の中に国際平和と民主主義国家の構築のために貢献しようという機運が高まったことです。具体的には二つ進展がありました。
- 一つ目は「クローズアップ現代」の番組で報道されたごとく、中田厚人さんの父親の中田武仁氏が、息子さんの死を真摯に、また建設的に受け止められ、国連ボランティア名誉大使の役割を引き受けて下さったことです。厚仁さんの遺志を受け継ぎ世界中30ヵ国以上の国々を訪れ、平和で民主的な社会を築き上げる大切さを説いてくれました。そして中田厚仁信託基金を設立して、カンボジアや他の発展途上国の教育を推進してきたことは有意義なことでした。
- 二つ目は、日本政府が厚仁さんの遺志を高く評価して、平和構築や人道開発支援を推進していくために、「ボランティアの活用により貧困緩和、平和構築、人道支援を推進し、持続的人間開発のための環境作りに寄与する」という目的で、国連ボランティア本部に日本信託基金を1994年に設立したことです。さらに、日本政府は2007年に平和構築人材育成支援の一環として「平和構築人材育成事業」を始めたことです。中田厚仁さんが植えた世界平和と開発のための奉仕の精神が根付き、毎年60~70人ほどの日本人の国連ボランティアが世界中で活躍するようになりました。
- 最近国際社会では日本の存在感が落ちていると言われます。中田厚仁さんの死から25年たちましたが、日本の存在と役割がどのように変わったでしょうか。
昔と比べると、確かに日本の国の存在感が薄くなっていると言えますが、日本人の国際社会での活躍ぶりは増していると感じております。ギリシャの哲学者プラトンが説いた「真・善・美」すなわち、真実に忠実なこと、道徳を守ることを世界中の多くの方々が重く受けとめております。私は一年間に5~6回は海外に滞在してきておりますが、スポーツや芸術界で活躍している日本人の名前は外国人の方々から伝わってきます。この7月にはほとんど一か月間、ヨーロッパにおりましたが、今回のFIFA2018年のサッカー・ワールドカップのコロンビア戦の終了後、日本サポーターがスタジアムのゴミ拾いを行ったことは素晴らしいことで感銘したと、スイスのおばさんが言っていました。また日本の映画『万引き家族』がカンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得したのは、そこに映し出された家族愛が高く評価されたからです。
- 国際社会での日本人女性の躍進
国際社会では、日本人女性の躍進が顕著で高く評価されています。ご存知のように、国連本部で国連事務次長・軍縮担当上級代表を務めている方は、女性の中満泉さんです。そのほかに私が知っている限りでも、国連本部政治局アジア太平洋州部長の山下真理さんや鈴木彩果さんが活躍されています。また、野田章子さんや田中美樹子さんがモルディブやガイアナで、国連常駐調整官兼UNDP常駐代表として活躍されています。その理由の一つは、日本政府が、男女の性別を区別せずに、能力と資格のある若い日本人が国連職員となることを積極的に支援してきたからといえるでしょう。日本人の国連職員数は、2000年には470人ほどで、そのうち男性が270人ほどで女性が200人ほどでした。その17年後の2017年には日本人職員の数は800人以上になりました。この期間に、日本の国連の通常経費の分担額が比率で半減したことを考慮に入れると、日本人女性の躍進は素晴らしいと言えます。とくに国連では、女性が躍進して503人と男性の職員数の317人の1.5倍以上になったことは高く評価されるべきです。
河野太郎衆議院議員の7月3日の公式サイトによると、今年の3月1日に国連事務次長補(ASG)兼国連事務総長特別補佐(防災担当)に水鳥真美さんが就任され、6月6日に国連事務次長補(ASG)兼国連開発計画(UNDP)危機対応局長に岡井朝子さんが任命されたとのことです。この二人は国連事務総長(SG)、国連副事務総長(DSG)、国連事務次長(USG)に次ぐランクということになります。そして、事務次長補(ASG)の次のランクであるD2ポストの国連合同監査団(JIU)の監査役に今年の1月に上岡恵子さんが就任し、国際原子力機関(IAEA)事務局長特別補佐官の市川とみ子さんがD4月1日にD2 に昇進し、国連薬物・犯罪事務所(UNODC)事業局長に加藤美和さんが6月1日に就任したそうです。
国際社会で活躍する女性が今後も増加していくことは明白です。日中韓の国連協会が主催して毎年行っている、3か国の学生によるJCKユースフォーラムへの日本からの参加者は、女性が圧倒的に多いです。今年の8月29日から9月1日まで、北朝鮮との国境線近くのパジュ市で行われる日中韓のこの会議に参加する日本人20人の学生が、書類審査と面接で選らばれました。そのうち15人が女性で、5人が男性でした。男性の学生にも、今後は奮起して、この行事に加わっていただきたいです。そして男女ともに20年、30年後には、国際協力の分野で中核な役割を果たしてもらいたいです。
国際社会で日本人の女性が躍進していくことは喜ばしいことですが、日本の社会でも、女性が同じように政府機関や企業により自由に参加でき、重要な役割を果たしていけることが望まれます。日本の指導者のみならず、全ての国民が熟慮すべきであると思います。世界で最も安全で安心な国から、進化していける社会を築くことが必要です。さもなければ、議員や会社役員などの女性の割合を、あらかじめ一定数に定めて積極的に起用するクオータ制度を導入して、日本の社会の突然変異を起こす必要があるかもしれません。そして、究極の目的は、女性の社会進出をただ後押しするというのではなく、男女ともに働きやすい社会を構築していくことが、日本の社会が進化していけることになると思います。
- 平和と民主主義国家の構築支援を目指した日本人の進出の可能性
現在外務省では、河野大臣の指令で、2025年までに国連関係機関の日本人職員数(専門職以上)を現在の820人ほどから1,000人に増加するよう、邦人職員増強戦略を策定し、様々な取組を実施していると聞いております。もちろん日本人の職員の数を増やすだけでは十分ではなく、人道支援や開発援助のみならず、平和構築などの推進役になって貢献してもらいたいです。その為には、より多くの日本人の若者が国連に早く入って、世界観を抱き、政策立案や方針を作成し、運用できるようになることです。その為には、Junior Professional Officer (JPO)の派遣制度を通して、多くの若い方々が国連や国際機関に入って、成長してもらうことです。このJPO派遣制度は、日本政府が派遣にかかる経費を負担して、若手日本人に一定期間(原則2年間)国際機関で職員として勤務する機会を提供するもので、派遣期間終了後に、正規職員として国際機関に採用されることを目的としています。外務省がJPOとして派遣した若者が、国際機関の中核となって活躍されていることは、男女の差別なく優秀な資格を持った若者を採用してきた結果であり、高く評価されるべきです。
また外務省はJPO派遣制度と並行して、「平和構築人材育成事業」を平成19年度から平成26年度まで行い、合計300名ほどの方々を養成しました。そのうち、2007年以降に海外に派遣された日本人の国連ボランティアの総数は、150名以上にのぼります。派遣国は、コートジボワール、エチオピア、ギニア・ビサウ、ケニア、リベリア、ルワンダ、シエラレオネ、南スーダン、タンザニアなどアフリカの国々が主ですが、合計40か国以上に及びます。主な派遣先機関は、UNDP、UNHCR、UNICEF、IOM、WFPです。その他、PKO、UNESCO、FAO、UNODC、UNFPA、WHO、UN Womenです。
そして平成27年度から新たに「平和構築・開発におけるグローバル人材育成事業」を開始され、この事業を通じて、毎年約15人の日本人の若手平和構築専門家が、国連ボランティアとして平和構築支援の現場に1年間派遣されています。2017年に実施された「プライマリー・コース」では、15人の日本人に加えてカンボジア、フィリピン、バングラデシュ、スリランカ、チュニジア、エジプト、イラク、マリ、南スーダン、ソマリアから来られた10人の外国人研修員が、6週間にわたり日本で衣食住を共にしながら、東京のみならず富士山麓や広島で研修を受けました。日本国内での研修を終えた15人の日本人の方々は、国連ボランティア計画(UNV)から派遣されて1年間にわたり、現地で国連や国際機関の職員として実務経験を積んでおります。その後には、国連職員となって活躍される方々が出てきております。このプログラムは広島平和構築人材育成センター(Hiroshima Peacebuilders Center : HPC)が実施してきましたが、すでに20人以上の日本人の方々が国連機関の中堅レベルの職員として活躍しております。そのうちの一人は、アフリカで展開されている国連平和活動ミッションで幹部職の仕事をしているとのことです。中田厚仁さんとカンボジアで一緒に選挙支援事業に貢献した黒田一敬氏は、国連ボランティアとしての仕事を終えた後の26年間に、専門職員として15か国での選挙の準備や監督する仕事に、JICAそして国連のプロフェッショナルとして従事されてきた。このように国連に早く入ることで、5年から10年かけて国際機関の機構文化(Corporate Culture)を身に着け、グローバルガバナンスの視点から国際平和と開発に生涯を通して貢献していけることになると思います。
- 日本の若者が内向きであると言われますが、長谷川さんはどう思いますか。
そうは思いません。安全で安心な日本に留まっていたいのは、若者ではなく内向的な大人たちではないでしょうか。若者が日本を離れて海外へ出て危険が国々へ行って、何か起こったら責任を取らなくてはいけないと感じて、何もしない方がよいと思っているのは、大学とか所属機関の行政職におられる大人の方々ではないでしょうか。若者をいつまでも子供として扱い、親が責任を取らなくてはいけないという考え方ではないでしょうか。そうではなく、若者に自ら責任を取って行動することを薦めるべきです。
すでに言及した国連協会が毎年行っている日中韓のJCKユースフォーラムの会議では、日中間の歴史問題や領土問題などに関して、学生たちは自由に討論してどのように協力していけるか話し合ってきております。福岡で開催されたJCKユースフォームでは、慰安婦問題も歴史問題も話し合いました。そして、東アジアの安全保障をどのように成就するか、また男女の格差解消や気候変動にどのように対応していったら良いかも話し合いました。下の写真は、その後にみんなで太宰府天満宮を訪問した時のものです。
- 中田さんの死は、究極的にどのような意義があったのでしょうか。
中田厚仁さんが亡くなった直後に現地に行き、ご両親にお会いしました。そして、中田武仁さんに息子さんの世界平和への遺志を継いで、国連ボランティアの名誉大使になっていただくことをお願いしました。武仁さんがその任務を引き受けてくださり、日本国内だけでなく世界中で、ボランティア活動を通して世界平和に貢献することの意義を説いて下さりました。今では、黒田一敬さんが、厚仁さんの遺志を引き継いで下さったことが、今回の報道でも示されました。
私たちは、自らの意志で生きがいのある仕事を選び、自由に活動していると自覚していれば、充実感と幸福感を抱くでしょう。そのためにあらゆる代償を払う気持ちになると思います。たとえ、それが自らの命であったとしてもということです。そして、共感され、その志を引き継いてくれる人たちが出てきます。そこで大事なことは、選んだ仕事や活動が自分だけでなく、他の人たちや社会全体にとって有益なことでなくてはなりません。グローバリゼーションが加速する国際社会では、異国や異文化社会の人たちにとっても本質的に良いこと(Intrinsic Good)が、何であるか理解する必要があります。中田厚仁さんの死後にも多くの日本人の方々が国連ボランティアとなって、世界平和と開発に従事されていることは、他国の人達のためになる生きがいのある仕事を見つけて活動していく尊さを悟ったからであると思います。
- 中田さんが残した民主化の芽を守るため、日本はどのような役割を果たすべきでしょうか。そして今回の報道ではフン・セン首相の強権化が進んでいることが示されましたが、日本はどうしていくべきでしょうか。
カンボジアでのフン・セン首相の強権化には憂慮します。私は1993年に国連が実施したカンボジアでの選挙のあと、ソマリアで国連平和維持活動(UNOSOM II)の政策企画部長として、一年間にわたり現地で勤務しました。そしてルワンダで1995年1月から2年間ほど、国連人道・開発機関の現地の代表を務めました。大虐殺があったルワンダでは、その後カガメ大統領がこの25年間にわたり、安定した治安を維持して経済成長を成し遂げてきました。言論の自由を認めず、反対勢力のみならず一般市民も弾圧していると批判をする人権団体の人たちも多くいますが、長期間にわたってこの国の安定が確保され、一般市民が職を得て生活が豊かになってきたことは事実と言えましょう。また、私は国連の一員として、東ティモールでも、2002年の7月より4年3か月間ほど平和構築を支援しましたが、この国では民主主義と法の支配の基盤として民主主義国家づくりが成功したと言えます。総理大臣や大統領の職を務めたグスマン氏やラモス=ホルタ氏とは、ともに信頼できる友人関係を築き、今での連絡を取り合っております。グスマン氏には権力の座に長くとどまらずに、若い指導者に政権を移譲するように助言し、2015年には首相職を譲りました。東ティモールでは民主主義の理念に基づいて、思想の自由もそれなりに確立されておりますが、強固な意志を抱いて、天然資源依存から脱却した経済を構築することが出来ずにおります。そして「悪銭身に付かず」(Easy come, easy go)で、インドネシアやマレーシアで起こったように汚職が増え、多額の資金が失われております。政治の腐敗を防ぐには、指導者の自律心が不可欠です。
確かに民主主義の原則では、主権在民で総理大臣や大統領は自由な選挙で選ばれるべきであり、日本は発展途上国に、この民主主義の理念を堅持するよう訴えていくべきです。それと同時に、各々の国での治安維持と発展度合いにより、恐怖からの自由、貧困の自由、言論の自由など、段階的そして相対的に必要度も異なることを留意しておくべきでしょう。人々は、まずは身の安全そして衣食住を満たすことを望んでいます。若者は教育を受け、働きがいのある人間らしい仕事を求めます。その為に、経済成長を成し遂げることが優先されます。東西の冷戦時代そして最近までは、自由民主主義の政治経済体制が社会主義よりも、より高い経済成長を達成してきました。しかしながら、最近になって自由市場主義が自由放任主義になり格差が広がり、欧米や日本など民主主義国家の経済力が、相対的に落ちてきております。強固な指導力で高い経済成長を成し遂げてきた中国などの国々の台頭により、政治的な自由と権利よりも一般市民の生活のレベルと向上させることが重要視するようになってきているのは明らかです。
よって日本はカンボジアのような国に対して、まず民主主義の理念である思想・言論・報道の自由などの人権を尊重していくべきであり、自由で公正な選挙を行うことが、指導者自身にとっても重要であることを明確に説いていくべきです。それと同時に、長期的には教育面での支援を増やし、特に国家の指導者を育成するために、カンボジアや他の発展途上国から、より多くの留学生を受け入れていくべきであると思います。留学生が日本で生活をして、民主主義国家の現状を体験すれば、帰国後も日本と同じように、自由で人権を尊重した社会でありながら高い経済水準を保つこと可能であると、現地の人たちに説くようになると思います。多くの留学生を日本へ受け入れていくことによって、日本の国際社会での存在感を増すことになると確信しております。
日本がカンボジアで具体的にどうしていくべきか、先月、7月9日に「日本のODAと民主主義を考える有志の会」の共同代表をしている日本国際平和構築協会の監事をしておられる井上健氏と東京大学の佐藤安信教授が、明石康最高顧問、藤田幸久議員、熊岡路矢氏、市原麻衣子氏とともに中根外務副大臣を訪問して河野外務大臣あての提言書を手渡しました。詳細は、日本国際平和構築協会のホームページに掲載されている記事(http://www.gpaj.org/ja/2018/08/06/16833)をご覧ください。
筆者は海外に出ており、外務省で開かれたこの会合に参加することは出来ませんでしたが、国連で37年間にわたり発展途上国の開発援助や平和構築支援活動に携わってきた経験から、最大の課題は、「自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値」と「社会の安定、市民の安全、貧困撲滅、経済成長、雇用創出、社会的包摂」の実現との間に、どのようなバランスをとっていくかであると思います。相手国の指導者には、日本は社会全体を構成している各々の国民の福祉と厚生そして人間の尊厳が保たれる社会を目指していることを明確に伝えていくことが重要であると思います。
最後に、NHKが8月2日に放映した「クローズアップ現代」の番組を企画・制作して下さった方々の仕事ぶりを身近に観て、皆さんの最高の技術力そしてチームワークの素晴らしさを感じました。世界平和と民主主義の普遍的な理念を築き、擁護していくボランティア精神の尊さ、そして、職務に生きがいを感じながら誇りをもって従事しておられるスタジオの方々の素晴らしい姿を拝見できたことは感激でした。ありがとう。深く感謝します。
2018年8月20日